シラバスとか教授法とかみん日とか行動中心とか
文型シラバスはALだからだめだとか、行動中心アプローチは文法を勉強させないとか、いろんな言葉が入り混じってお互いを批判し合ってるのでちょっと言葉の整理をしたい。とりあえず俺が叩き台というか大枠を作って、間違ってるところをみんなでどんどん指摘しあって、みんなで正しく理解できるといいなと思う。
ちなみにここに書かれていることは俺個人の意見や解釈なので、間違いもあると思う。また、俺の解釈と言っても、行動中心アプローチやTBLTなどはこの1年くらいでかなり理解が深まった感じがあるから、数年前の俺自身のツイートなんかと比べると矛盾してることとかもいろいろあると思う。
あと、そもそもこれ書いてる友って誰だよっていうのを説明しとくと、国内留学生向け日本語学校の教務主任。別に何かを専門に研究してるわけでもなければ、なんかすごい機関に所属してるわけでもない。それどころか専攻も日本語とかけ離れてるし、ごくごく普通の一般人。
ここに書かれているテーマは以下の通り。
・そもそもシラバスって何?
・文法シラバス=みん日?
・ところでみん日ってALなの?
・ところで今さらながら「行動中心アプローチ」って?
・何と何を比べるか:文法シラバス
・何と何を比べるか:オーディオリンガルメソッド
・『みんなの日本語』に対しての批判
・授業準備不要教
・『まるごと』などを使えば授業準備ほんとに要らない?
・文法シラバスってダメなの?
・で、結局『みん日』はいいの?ダメなの?
・『まるごと』や『できる』を使っとけば安心?
気づいたら文字数が7000超えてたので、暇な人だけどうぞ。間違いの訂正などあればコメントとかDMとかでお願いします。
【そもそもシラバスって何?】
シラバスとは、「何を教えるか」をまとめたもの。それ以外でも何でもなく、教え方などは「シラバス」という言葉には含まれない。本で言えば「目次」の部分。
例えば、バイト先での日本語を学びたい学習者がいた場合、
・レジの用語
・接客の敬語
・商品名
などを覚えなければならない。これをまとめたものが「シラバス」である。
そして、「〇〇シラバス」というのは、何を基準にシラバスを作ったかを表す。
※「先行シラバス」とかはまた別なので注意
例えば『みんなの日本語』は公式サイトで文法シラバス(別名文型シラバス、構造シラバスなど)であると書かれている。つまり、製作者が「文法の意味や形に注目して、簡単なものから順番に、かつ形や意味が似てるものはある程度まとめて覚えていけば日本語が上手になる」と考えて、その方針で教える項目を集めていって完成したのが『みんなの日本語』ということである。
※細かいことをいうと、「簡単なものから…」みたいな考え方はシラバスを超えて言語習得の理念に踏み込む話になるが、そこは不可分なので…
ここで気をつけたいのが「シラバス」そのものは「教授法」ではないということ。例えば文法シラバスの考えで集められた項目の1つの「これは〇〇です」をどう教えるかと考えた時に、TPR、サイレントウェイ、オーディオリンガルなど、いろいろな教授法の選択肢があり、好きな教え方で教えていい。いろいろなものから複数の指導法や練習法を取り入れてもいい。つまり、「文法シラバスを間接法でALの練習法を中心に、かつ応用練習ではコミュニカティブな活動を入れる」ということもあり得る。
【文法シラバス=みん日?】
Twitterでは「文法シラバス=みん日」として話をする人が多いが、そもそもみん日は「教科書」でありシラバスではない。教科書というのは、
・ある基準によって作られたシラバス(指導項目)を
・[言語はどのように習得されるか]という理論に基づき
・どのように練習させていき
・習得具合をどのように確認するか
という言語学習の一連の流れを全て(とは言えないがかなりの部分)含むもの。つまり「文法シラバス=みん日」は誤りで、「文法シラバス⊂みん日」なのであって、文法シラバスは、みん日の要素の一つに過ぎないわけだ。
※記号の使い方間違ってたらすみません笑
ここが理解できないと、よくTwitterで問題になる「文法シラバス=みん日=AL」という構図がおかしいことに気づけない。全てを=でつないでしまって、全く異なる概念のもの同士を同じものとして扱ってしまうから話が進まない。
「文法シラバス(=みん日=AL)と行動中心アプローチの二項対立」なんていう人もいるが、これは二項どころか全て異なる概念なので、そもそも比べようがないわけである。一応これらの用語が何を示すか確認すると
・みん日→教科書
・AL→教授法
・行動中心アプローチ→アプローチ
※そもそもアプローチとは何か?
言語習得や言語教育はこのようになされるべきだという理念や方針みたいなもの。具体的な指導法とかは含まない。
【ところでみん日ってALなの?】
このツイートとか参照。
https://x.com/tomo_jpnstchr/status/1584906896297046017?s=46&t=CjrqHSTrO8oIF6qt0YmiSA
https://x.com/tomo_jpnstchr/status/1584906896297046017?s=46&t=CjrqHSTrO8oIF6qt0YmiSA
結論としてはALではないけど、限りなくALに近い。
【ところで今さらながら「行動中心アプローチ」って?】
「アプローチ」。教授法じゃないよ。だから授業中の具体的な活動とかを指定するようなものじゃない。
「そもそも日本語を学習する人は、何を学べばいいの?」ってことを考えた時に、「その人が必要とする日本語を教えればいいじゃん」っていうのが行動中心アプローチ。個人的にはニーズ調査を極限まで極めたのもだと思ってる。
ちなみに行動中心アプローチといえば『まるごと』を思い浮かべる人が多いと思うけど、これも「まるごと=行動中心アプローチ」ではない。『まるごと』と違った教え方の行動中心アプローチもある。『まるごと』では基本的に音でのインプットから入る構成になってるけど、そうじゃない教え方だってあってもいい。『まるごと』は「行動中心アプローチ×TBLT」な感じだね。
【何と何を比べるか:文法シラバス】
ではよくTwitterで出てくる用語たちの中で、どれとどれを比べればいいのかって話になる。単純に同じもの同士を比べればいいわけだ。
まず「文法シラバス」と何を比べるか。行動中心アプローチと比べてはいけない。違う概念のものだから。文法シラバスと比べたければ、行動中心「アプローチ」じゃなく、行動中心アプローチで作られたシラバスと比べるべきだ。
教える項目をリストアップするときに、
「簡単なものから順番に教えればいい」
という考え方と
「必要なものをあぶり出してcandoとして明記して、それを教えていけばいい」
という考え方。この二つを比べればいい。
「使うかどうかは関係なく、簡単なものから始まって徐々に難しくしていって、最終的には文法項目全部把握できれば絶対日本語話せるようになるでしょ!」
vs
「その人に必要な日本語だけ覚えれば日本語でやりたいことできるようになるし、使うかどうかわからんものを全部覚えるなんて無駄じゃねえか!」
みたいな感じかね。ちょっと極端に書いてるけど。
他にも「場面シラバス」とか「話題シラバス」とかいろいろあるけど、とにかくシラバスに関して良し悪しや学習者にとっての合う合わないを評価したけりゃシラバス同士を比べるべきだってことだ。
【何と何を比べるか:オーディオリンガルメソッド】
これも行動中心アプローチと比べてはいけない。オーディオリンガル(AL)は「メソッド(教授法)」だ。何と比べるべきかはちょっと迷うところだけど、今ならTBLTが妥当なところかなと思う。TBLTはALと違って具体的なドリルのような指導方法はないから比べ難いが、「タスク中心にやる」という点は明確な指導法と言えるでしょう。
他にも具体的な指導法を示している教授法としては、TPRとかいろいろある。ただ、教授法に関してはそれこそ二項対立的に比べるのではなく、さまざまのものから学習者の状況に応じて適した指導法や練習法を選択していくべきだと思う。
とはいえ例えばTBLTとオーディオリンガルではベースとなる理論が全く異なるし、それによって相容れない教え方もあるから、一緒に使えない練習法とかももちろんある。ALの中にタスクを入れても、それはもう本当のTBLTじゃなく「タスクっぽい活動を入れたAL」でしかない。
【『みんなの日本語』に対しての批判】
みん日に対しての批判でよく見るのは
②ALだからダメ→教科書の構成の元になった教授法の批判
③授業準備が大変だからダメ→想定される授業方法の批判
④コミュニカティブな活動が入ってないからダメ→教科書の内容、構成の批判
のあたりかな。
そしてみん日そのものというよりも、みん日を採用している機関に対しての批判もよく見る。
教科書の中にはシラバス、教授法、評価法などいろんな要素が入ってるんだから、「教科書」と一括りにしないで、教科書のどの部分に対しての批判なのか明確にしないと話が進まない。教科書と教科書を比べるときも、
「ALのみん日はダメだから行動中心アプローチのまるごとがいい」
では、比べるべきポイントが違う。
「みん日はALがベースで習慣形成、母語話者の話す『正しい目標言語』をひたすら真似して形の練習をすることで宣言的知識の自動化を目指しているが、言語は形だけ覚えても習得されない。TBLTのように自らの気づきによる習得を促す構成のまるごとの方がいい」
のように、教科書の構成のベースとなる教授法を批判するなら比べるのも教科書の中の教授法であるべきだ。
【授業準備不要教】
なんかこんな感じの言葉をどっかで見たんだけど、「授業準備が要らない」っていうのはそもそもどんな意味で使われているのか。
これは悪い意味での準備無しといい意味(仕方なく?)の準備なしがある。
基本的に「授業準備不要教」を公言する人はだいたいいい意味で授業準備をしていないと思う。
ではいい意味で授業準備をしないとはなにか。それはそのときその学習者に必要なものを引き出す授業設計をして、その場で本当に必要としているものを判断して与えるということかなと。
そもそもこの授業準備不要というのは、
①昔日本語教育の現場(養成現場?)で行われていた、教師と学生の一言一言までをぎっちり書き込んだ、授業の台本のような教案作成
②何の文脈や場面設定もない状態からの突然の文型導入→練習という流れ
のあたりに対しての反論であるように思える。
まず①についてだが、レディネスやニーズを無視して十把一絡げに誰に対しても同じ発問をし同じような答えを引き出す(言わせる)というのはどうなの?ということ。
言いたいことが他にあるかもしれないのに、同じような答えを言わせる流れを作っていたら本当に言いたいことがいつまでたっても言えない。10人いたら10通りの答えがあって、それを予測しきれるわけがない。予測できないんだから準備ができない。準備したものと全く同じように進んだら、それは教師が準備したものを言わせているのではないか、ということかなと。
また、②についても、ニーズ調査をすれば授業には必ず場面があるはずなのに、その場面がない状態から始めるのはダメなんじゃ?ってこと。学習者に必要かどうかわからない文型を、出会うかどうかわからない場面を作り出し、そこで教えるのは要らない準備なんじゃないのかなと。
まとめると、授業準備で大切なのは、学習者のニーズに合わせて、出会うであろう場面設定をして、その時に自分ならどう言うかを考えさせるとこまでは準備をすること。その後は準備のしようがない。だから本番でその時での判断になってしまうところがある。それこそが「授業準備不要」の本質じゃないかね。
そして準備したことを押し付けるのではなく、その場で出てきた「学習者が本当に必要としてるもの」をその場で適切に与えることこそが教師としての役割であると。
そして、まぁ読めばこれ書いてる俺自身その授業準備不要教信者であることはわかると思うけど、この教徒は「勉強不要」とは言ってない。何が出てくるかわからないから、普段不断の勉強が不可欠。「授業準備不要」の本質は、「無駄なことに時間をかけず、省けるものは省いて、本当に学習者が必要なものをその場で判断して与えられるように研鑽すべき」じゃないかと。
「文脈も場面もないのに意味用法の説明したって意味がない。だからこそ教師が導入のためにさまざまな小道具を用意して一つ一つの文型について文脈を用意しなければならない、そういう教科書を使うと無駄が多いから、あらかじめきちんと文脈が設定されていて絵なり音声なり準備されている教科書を使えばいい。そして無駄な授業準備の時間を減らして、余裕ができた時間で自己研鑽に励み、本当に必要とされることを教えたい」
これが「授業準備不要」の意味かな。
[追加 授業準備不要教のメリット]
みんなが準備なしで授業に入れるようになると、
①非常勤の先生は時給外のサービス残業的な時間がなくなる。
②いつでも誰でも、どの範囲でも代講で入れるようになるため、みんなが休みをとりやすくなる。
というメリットがある。
ただし、全ての先生が後述の授業準備や勉強などをしっかりしている前提だし、そもそも①に関しては本来は雇う側が授業に必要な準備の分まで給料を払うべきなので、教科書や授業準備だけの問題ではないが。
【『まるごと』などを使えば授業準備ほんとに要らない?】
これもまた誤解される点で、「授業準備不要教」のいう「授業準備」というのは「導入のためのさまざまな準備」を指すわけで、その他の準備は必要。
『まるごと』『できる』『つなぐ』などcandoベースの日本語の総合教科書はいろいろあるけど、いずれも準備は必要。どんな準備かというと、
①学習者のニーズ調査、cando設定
②①を確認して教科書で設定されているcandoの取捨選択
③何が出てきても対応できるような知識の獲得、アップデート
などだね。まぁ①②はカリキュラム作る時点で行われてるはずだから、1コマ1コマの準備の段階ではやらなくていいことだし、「1コマ1コマの授業」レベルの話をするなら本当に準備いらなくなるかもだけど。『まるごと』なんかはモジュール型でいらない課はとばす前提だから、この①②の授業準備をサボると学習者に関係のない変なcandoの授業をするはめになる。だから「ニーズ調査と教科書の学習項目選定」という授業準備は絶対必要。
「授業準備」の話をするなら、「そもそも授業準備とはなにか?」を意識すべき。
普段から勉強しててその勉強が「準備」だと思わない人もいれば、基本的に勉強せず授業に入る前に初めて担当課の様々な項目を調べる人もいる。
【文法シラバスってダメなの?】
言語学習の目的による。
「日本語勉強の目的(今やりたいこと)は特にない。」
「使わない文法でも覚えときゃいつか役に立つだろ」
「文法楽しい」
みたいな人は文法シラバスも全然問題ないと思う。
文法シラバスが批判されるパターンで最も多いのは、
「1ヶ月後に日本の工場勤務が始まるから、最低限の生活に必要な日本語と、起こりうる可能性が高いトラブル何パターンかを日本語で説明する能力だけはとりあえず覚えておきたい」
みたいな人に対しても文法シラバスの教科書を第1課から順番にやったりするやつ。まぁこれは文法シラバスが悪いんじゃなく、文法シラバスを採用した人が悪いから、文法シラバスに対しての批判とはちょっと違うけど。
【で、結局『みん日』はいいの?ダメなの?】
教科書を最初から順番通りに使う前提で話を進めると、
◇シラバスに関して言うなら、この前の項目のとおり、学習者による。
◇ベースの理論や教授法、つまりALについては、『言語を習得したい』という人に対しては現在はよくないと言われている。
◇教科書の構成は、先生が自ら導入の小道具などを全部準備する授業を求められることなどがままある上に、コミュニカティブな活動は別に用意しなければならないため、どれだけ準備に時間がかかって無給状態になっても、趣味のように楽しめるならアリ。できるだけ授業準備の時間は節約したいという人ならナシ。文法だけが目的で、コミュニカティブな活動は必要なく、間接法で学習者と同じ母語の先生が教えるならアリ。
◇これで話せる(コミュニケーションがとれる)ようになるかでいうと、教科書を順番通りそのまま進めたら厳しい。この教科書が作られた当時と今では言語習得、つまり話せるようになるまでの過程について見解が全く異なるため、話せるようになりたければ教科書の内容や順番などを変えなければダメ。
【『まるごと』や『できる』を使っとけば安心?】
can-doの取捨選択をせずに、また、レディネス調査をせずに教科書の練習をそのまんま全てやる、というのでは、文法シラバスの教科書使ってるのと大差ない。
まるごとは海外に住んでる人向けだし、できるやつなぐは日本語学校が舞台。それなのに誰に対してもこれらの教科書を使って最初から順番に全部やっていたのでは、文法シラバスの教科書を使っているのと同じようなもの。(教授法の部分で差はあるけど)
また、これらの教科書のベースとなる言語習得の理論も理解できていないと、変な改造をしてしまって効果がなくなる可能性もある。
実際にあった例だが、『まるごと』の読解candoのページを教える際に、「あらかじめ語彙や文法を学んでおかなければ読めないから」と言って、最初のタスクをとばして文法練習から始まり、最後に読解タスクにとりかかる…という方針の学校があった。最低限FoFなどの知識がないと、結局どの教科書でも変わらない。
話せるための文法とは?
話せるための文法学習っていうオンラインセミナーがあったから参加してみた。
面白い内容だったけど、学部生とか420時間受講者レベルって感じの説明が多かったかなぁ。外国語副作用ってわかりますか?とか、そういう基礎的なことに費やす時間が長すぎて残念。現職なら日本語教員試験の基礎試験レベルの内容は把握できてなきゃダメなんだから、そのレベルの説明は端折ってほしかった。
全体的にはどうだったかというと、「なるほど」と思わせるものもあれば「???」というところもあった。
たとえば、何回か「文法積み上げの考え方は間違ってない」と言ってたんだけど、同時に「文法積み上げには場面と文脈が足りない」とも言ってた。それ結局文法積み上げは間違ってるってことじゃないの??って思った。文法積み上げはもともと「文脈とかなくとも正しい形と意味を覚えて習慣形成すれば言語は習得される」っていうオーディオリンガルがベースだし。「アフォーダンスがあり場面も文脈もある文法積み上げ」ってもはやそれは別物では?今回の話だと、「そうか、文法積み上げは言語習得において正しかったのか!」みたいな誤解につながるおそれがあるのではないかと感じた部分も少々。
他にも、ゴールが「言語習得」なのか「社会的存在」なのかが曖昧なまま話が進んでいた気がする。can-doで日本語を教えるっていうのは、言語習得を第一の目的としているわけじゃないはずなんだよね。日本語の習得はある意味副次的なもの。たとえ暗示的知識も言語形式の自動化も獲得されていなくとも、その人に必要なcan-doが達成できればそれでいい。でも今日の話では、言語の自動化、つまり「言語習得」を目指している感が強かった。
このあたりの曖昧さなどがなければもっとよかったなぁ。
で、本題の「話せるための文法」って結局何なのかって答えは、「アフォーダンスを見出せる文法に場面と文脈をつけて練習させ、宣言的記憶を自動化させる」という内容だった。うん、これは納得。教室での言語習得はそれだけじゃないし、暗示的記憶の獲得には触れられてなかったけど、まぁ時間的にもそこまでつっこんだ話はできなかったんだろう。
ちょっと面白かったのは、始まって少ししたら結構退室者が出たこと。「話せるための文法」ってテーマだから、文法関連の教室活動とか具体的な練習方法だと思って参加したら記憶とか認知とかの話ばっかで「思ってたんと違う」って人がいたんじゃないかな?
昔は外国語教授法って、言語それ自体が研究されてて学習者は無視されてたけど、現代は言語自体も大事だけど学習者の言語習得の課程、つまり頭の中が重要視されてるから、文法だろうが何だろうが頭、認知、心理の研究分野が欠かせない。この辺りもっと420時間とか教員試験とかでも扱っていいと思うんだよね。
そんなわけで、久しぶりのセミナー参加、まぁそれなりに楽しめました。でもやっぱ質疑応答とかあって、もっと深い内容聞けたら嬉しかったなぁ。
教えるべき文法とは?
最近こんな話を見ました。
【問】 文法はどこまで教えるべきか。
俺も文型積み上げからcandoに考え方を変えて、この辺りはすごい悩みました。
じゃ、この問いに対する答えは何か?
【答】 教える相手による。
うん、賛成です。
今日はこれについて、俺なりの考え方をいろいろと書こうかなと思います。
間違ってるところとか変なところがあったらぜひ突っ込んでください。
さて、「人(相手)による」では、まだよくわからないという人もいそうですね。
ではちょっと言葉を変えてみましょう。
【答】 ゴールによる。
結局はこれに尽きるんです。
つまり、最初にcandoをちゃんと設定しろよってことです。
人によってスタートもゴールも違うから、どこまで教えるかも人による。
どこまで教えていいかわからないというのは、ゴールがわかってないということです。
授業に参加する人がどんな生活をしているか、どんな日本語を必要としてるか、それに合わせてちゃんとcandoを設定してるかが重要なわけです。
このcandoがちゃんとわかってないと、「どこまでやればいいの?」ってなっちゃうんですよ。
俺の体験談を混ぜながら話していこうと思います。
俺は以前4年ほど台湾に住んでいました。「漢字がわかるならなんとかなんだろ!」と中国語をほぼ学ばずに行ったわけですが、入国後すぐにタクシーで行き先すら伝えられず「あ、俺の台湾生活詰んだわ」と思ういいかげんなスタートでした。
そんな中国語力ほぼゼロの俺でしたが、台湾では自炊は一般的ではなく、ごはんは外で買うか食べるかするものという文化。そこで生き抜くためには、中国語での注文の仕方を覚えなければなりませんでした。
中国語を覚えなきゃご飯が食べれない。食に対する日本人のやる気はすごいものです。帰国前にはご飯の注文だけなら日本人だと気づかれないほどに流暢に話せるようになっていました。あくまで注文だけなら。
ではそのネイティブ並みの注文力はどうやって身につけたか。
職場で台湾人に「〇〇を注文するにはどういうの?」「にんにくなしにするには?」「あれはどういう注文システム?」と、その都度注文の仕方を聞いて、そのフレーズを職場から店につくまで小声でぶつぶつと繰り返して、店に着いたらそれをそのまま言うというものでした。まさにサバイバル。
で、これを繰り返し、ちゃんと(?)台湾で生活できるようになって思ったんですよね。
「中国語の勉強、これでいいじゃん」と。
俺の中でcando、ゴールが設定されたのです。死なない最低限の中国語。
『細かい礼儀や丁寧さは欠くが、最低限失礼にならないようにかつ自分の食べたいものは注文できる』
これが俺のcandoでした。
注文フレーズを教えてもらうときに、「〇〇だとちょっと乱暴な感じがするから、こっちの言葉」とか「最初に〇〇って言えばいいから」みたいに、初心者でも覚えられる失礼にならないけど簡単なフレーズをメインに教えてもらってたんです。これを繰り返すうちに、いつの間にやらネイティブ並みの注文力を身につけたというわけです。これがcandoで上達してくってことなんですね。
level 1 指さしによる最低限の注文
level 2 持ち帰りや店内などの意向を伝える
level 3 嫌いな材料や好みの分量を伝える
level 4 その場で使われている食材などを確認して好きな物だけ注文する
のように、徐々に注文をレベルアップさせていくんです。スパイラル。
で、これで無事好きなご飯が食べられるようになったわけですが、俺がこの方法で中国語を学ぶときに、文法はどんな扱いだったかというと、一切文法項目の学習みたいなことはやってません。
「『にんにく要らない』が言えたら、次は『ネギ要らない』の練習しましょう」
とか、代入練習みたいなのは一切やってないんですよ。ほんとその時その時の必要なことだけ覚えていった感じです。
ただ、必要なことだけって言ってもある程度話せるようになってくると注文も贅沢になってくるから、覚えることも増えてくるんですけどね。
「その場で食材や量を確認して注文する」
っていうcandoになれば、それに応じて覚える単語も増えてくる。まあ当然ですね。
さて、こんなのが俺の中国語学習の経験なわけですが、文法学習についてなんとなく方向性が見えてきません?最初にやりたいことを明確に決めると、学ぶべき文法も決まるんです。要らないものを伝えるだけなら、その単語1つと「いらない」っていう文法を覚えればいいし、好みの数量を伝えたければそれを覚えなければならない。
https://x.com/tomo_jpnstchr/status/1918798461706625296
最近こんなツイートしたんですけど、
結局自他動詞をセットで覚える必要性ってそこまで高くないんじゃないかと思うんです。学ぶ人が、自他動詞の違いを理解していないと達成できないcandoを必要としているなら、教えればいいだけ。
うちの学校の学生で言うと、
「製品検査のアルバイトで、結果を報告する際に元々不良品だったのか、自分のミスで壊してしまったのか、明確に説明できる」
みたいなcandoであれば自他動詞セットで覚えて、その違いを理解しながら
「これは【壊れて】ました。これはチェックのときに間違って私が【壊して】しまいました。」
みたいなフレーズを覚えた方がいいかなとは思います。
ただしこの場合も、じゃあ他の自他動詞も全てセットで覚えるべきかって言ったらそうじゃなく、<入れる-入る>とか<閉める-閉まる>とかまでやる必要は全くないと思うんですよね。そのバイトで使う語句でない限り。
他にも例を出してみましょう。
初級前半か入門が終わったあたりの学生が、服の買い物に行くとします。
candoは「サイズと色の有無が聞ける」「試着したいことを伝える」「買わないことを伝えて退店する」あたりでしょうか。
そうすると、文型シラバスの形容詞の課では、色から大きさ、感情まで初級で出そうな形容詞はいろいろ学ぶ一方で、このcandoでは服に関する形容詞以外は覚えなくてもいいと判断できます。
もちろん服の色などは好みによって細かい違いがあって、教科書に出るような基本の色だけでは足りない場合も想定できるので、そういった場合はその学生が求める色に対応する日本語を与えてあげる必要もあるでしょう。ただしそれは「私はこの色がほしい」のように具体的に求められた場合でいいと思います。学生から聞かれもしないのに細かい色の違いまで説明する必要はありません。
もう1個ぐらい例を考えてみます。
初級後半ぐらいの学生で、アルバイトを休みたい場合の日本語を考えてみます。
「相手のシフトと都合を確認しながら同僚の気を悪くしないように変わってほしいことを伝える」「店長などに誰が代わりに入るかとともにバイトを休みたいことを伝える」
こんなのが必要になるかと思います。
初級後半ですし、今後も一緒に働く同僚なら
「明日のシフト代わってください。よろしくお願いします。」
だけで終わってしまうのは、よろしくない。いろいろと必要なものが出てくる。
このように、誰がなんのために学ぶか、その人が必要としている日本語がどんなものか、ということから具体的にcando、つまりゴールを考えていくと、教えるべきものが見えてくるかなと。
で、学ぶ人のレベルを考えると
「入門期だから既知の語彙量的にもいろんな語の活用はまだ厳しいし、今回の授業ではフレーズとして教えよう。」
「初級後半だから、これまでのcandoを考えてもそれなりに語彙もあるし、活用を覚えることで今回のcandoがしっかりとできるようになるだろう。」
みたいにcandoの詳細(よく「◯◯であれば」みたいに入ってる条件の部分など)も見えてくるようになって、それを基準にするとどこまで教えるかも明確にわかるわけですね。まぁこの辺りはきちんとコースやらカリキュラムやらレディネスやらが把握できてないと難しいですが、その辺の勉強はどんな養成講座でもやるし、それを知らずに授業すんなってことですよね。
ただ、ちょっと気をつけたいのが、一般的な総合教科書って、誰でも使えるように、設定されているcandoが若干曖昧だったりします。例えば「敬語を使って簡単な会話ができる」みたいな。簡単な会話ってなんやねん。日本語学校の学生と家族滞在の中学生と会社員とでは、「簡単な会話」ってものが変わってしまう。どこまで教えればいいかわかんない!って悩みが発生しそうなのはこういうふわっとしたcandoのときですよね。
なので、そういうふわっとしたcandoが設定されてるときは授業の前に、これから授業に参加する学生の日本語使用の場面をできるだけ具体的に考えてみるといいと思います。そうするとまた「これは教科書に載ってるけどやらなくていいかも」「教科書にないけどこの人にはこの単語が必要だ」みたいなのが見えてきます。
『まるごと』とかはこのcandoが超具体的で、ふわっとしたものが少ない印象です。モジュール型の教科書だからですかね。「やりたい課だけやる、いらない課はとばす」っていう使い方ができる教科書だから、人によっては要らない課は本当に興味が持てないし全然必要ないcandoがあったりします。
さて、ここまで「文法はどこまで教えるべきか」ってことを考えてみました。答えは「人による」です。ただ、この「人による」ってのは
「人によるから答えはないよ」
じゃなくて、
「人によるけどゴールが明確なら答えも明確に出せるよ」
ってことだと思います。
ちなみに、入門期からcandoベースで文法をやっていくと、「必要な文法しか覚えない→その他の文法は勉強しない→なかなか言語知識が身に付かずに上達しない、テストに合格できない」みたいになるんじゃないかって不安が拭いきれない人もいるかもしれません。
明示的な文法学習とその効果、定着具合について、また1つ俺の体験談を紹介します。
俺は前述のように中国語を学んだわけですが、じゃあ注文以外は勉強しなかったのかと言われると、実はそうではなく、一時期週1回1時間程度、中国語のマンツーマンレッスンを受けていたことがありました。が、あまり話せるようにはなりませんでした。俺個人の好みもあって文法とかは結構いろいろ質問して教えてもらったりもして楽しく学んでいたんですが、やってることは文型シラバスに近かったです。
※その先生の名誉のために補足すると、先生が文型シラバスで教えようとしていたわけではなく俺が文型を知りたがってそっちの方向に持って行きがちだっただけです。
正直そこまで生活に困っていたわけでもなく、「お手頃価格でネイティブにマンツーマンレッスンしてもらえるんだからとりあえずやっとくか」ぐらいの気持ちだったし、中国語の構造や感覚をネイティブに直接聞けて満足感はあったのでそれはそれでいい経験だったのですが、「中国語でこれがしたい!」という目的もなくレッスンを受けていたので上達の実感はそんなにありませんでした。
この経験を振り返ってみると、やっぱり中国語上達に寄与したものは何かというと、「ニンニク抜きでの注文ってどうやるの!?」みたいに超具体的な目標があって覚えたフレーズなんですよね。授業で習ったことは全然覚えてないのに、「不要蒜頭」の一言はめちゃくちゃ覚えてるし。
じゃ、総合的な中国語力はどうなのかというと、HSK(英検やTOEICのような中国語検定みたいなの)によると、帰国時の俺はB2だそうです。まぁあれはちょっとレベル感おかしいだろと思うので、自分の実感としてはA2ぐらいです。読むのはB1ぐらいかな?今はすっかり忘れてA1ぐらいだけど。ご飯の注文だけでも極めていけば結構レベル上がるようです。
なので、そりゃA1レベルのcandoを1つ2つ覚えたところですぐにテストに合格できるようにはなりゃしませんが、「台湾で生き延びる」みたいな大きな目標から細かいいろんなcandoを覚えていくと、気づいたらそれなりにレベルも上がってテストも合格できるみたいですよ。
あと、転移適切性処理ってものもあるから、テストでしっかり点を取りたいならやっぱりテスト対策は重要です。これは「candoベースじゃテストができない!」とかそう言う問題じゃないです。同じ語学力なら、慣れてりゃ慣れてるだけ点がとりやすいのはもっともだろうって話です。
最後にもう一つ補足すると、「文法学習はいらない」とは言ってませんからね。
俺の体験だけ見ると文法はなくても大丈夫って思えるかもですが、それは俺のcandoが最低限のフレーズで達成できるものだったからです。人間関係を築いていく方向性のcandoだと、それこそ自他動詞のようなもっと細かなニュアンスの違いとかが必要だったと思います。
なお、今回は「どこまで教えるべきか」が焦点なので、「どうやって教えるべきか」は無視してます。
そんなわけで、教える文法の話しでした。
まぁこの辺りも最近の教科書はきちんと考えられてるから、結局教科書通りやってきゃ問題ないんですけどね。でもやっぱり市販の教科書ってのは個人のために作られたものではないから、どんなによくできた教科書でも一人一人の学習者をよく見ることは不可欠だと思います。
文型積み上げからcandoに移行した時に、
「ほんとにて形の別の文型教えなくていいのかな?」
「別の活用形も教えるべきかな?」
「他の単語で代入練習した方がいいかな?」
などで悩んだら、この話を思い出してみるといいかもしれません。
教科書論争
最近、みん日批判(正確にはコミュニケーション重視の授業でみん日を使う事への批判だけど)に対して「ほっとけばいいじゃん」みたいに、『"みん日批判"批判』みたいなのを目にするようになった気がします。
「みん日批判をする人は偉そう。」
まぁ、正直わかる。俺もその偉そうにしてる1人です。すんません。
でも、この話題となると必ずと言っていいほどあの方々が主張してますが、
「目的に合った教科書なら楽に高い効果をあげることができる」
ほんっとこれだけの話なんですよね。
目的に合わないものを使うから準備が必要以上に大変で、無駄に大変だから労働環境が悪くなって、人材も育たない。え、理にかなってるじゃんっていう。みん日を批判するんじゃなく、なんでもかんでもみん日を使うことに疑問を感じると。目的に合わせて教科書変えようぜっていうね。
ただ、この話は「構造シラバスはコミュニケーション力を鍛えるのには向かない」という共通の認識がないといつまでたっても平行線だけど。
この「構造シラバスがどんな授業に向いているか」についての結論は既に出ているものと思います。俺は日本語学校の人間なので日本語学校について話しますが、一般的な日本語学校では構造シラバスは正直向いてません。と、俺は思っていますが、実はここでも共通認識が持てていない場合もまだまだあるようで、そうなるとやはり平行線。
この辺の平行線は、それぞれが頑なに持っているビリーフみたいなもので、なかなか交わりません。そんな状況だから「ほっとけ」ってなるんでしょう。
俺も何回も同じような話に首を突っ込んできたし、この主張が交わらないならもうほっとけばいいじゃんってのもわかるんですが、それでもやっぱり口を出してしまう。
なぜかって?
効率悪い授業が蔓延ってたら困るのは学習者だからですよ。
これでも日本語教師のはしくれ。
多くの人に日本語を楽しく学んで欲しいし上達もして欲しい。それが自分の学校の学生じゃなくても。だから「よりよい答え」が存在するのなら、それを見つけておきたい。
それなのに古い考え方に固執したままで別のものに目を向けようとしない日本語教師がいたらやっぱり「ちょ待てよ」ってなるじゃないですか。
だいぶ前に、ICTに拒絶反応を示す人ってどうなのみたいな記事↓を書いたんですが、
http://jpns.hateblo.jp/entry/2019/06/15/184127
俺のブログで一番読まれてたのがこれなのでもしかしたら覚えてる人もいるかも。
これ、ICTじゃなくて指導法にだっておなじことが言えますよね。
考えても見てください。
また医療のたとえ話を出しますが、『湿潤療法』ってご存知ですか?キズパワー○ッドみたいなやつです。
あれって、従来の治療法から考えるとありえないんですよね。それまでは「傷口は消毒して乾燥させてかさぶたを作っちゃえば早く治る」って考えられてたのに、湿潤療法は「消毒せずに水で洗って常に潤わせて乾燥はさせない」みたいな治療法ですから。
昔は褥瘡とかをドライヤーで乾燥させる!なんてこともしてたらしいですね。今の医療からは考えられない話です。
日本語教育だって同じじゃないですかね。研究が進めば、理論なんて180度覆る。それまで自分がやってたことが全て否定されることだってある。でもそこで古いものに固執して、誰が困るかって、やっぱり患者(学習者)ですよね。
「みん日使ってる人の気持ちも考えてよ」って言われても、そこは重視すべきポイントではないかなと思います。
俺だって昔はみん日使って、それこそ「歩くみん日辞典」のレベルで語彙も文型も把握してましたさ。未習語彙は使わない方がいいって思ってたし、いろいろ手の込んだ導入を考えてました。
でもそれがダメだって思うなら、たとえ過去の自分の言動やら積み上げてきたものやらを全てぶち壊すことになっても、別のものにも目を向けなきゃなと思います。ぶち壊すことでより良い授業ができるなら。まぁぶち壊してダメになる可能性だってありますし、人間関係とかこじれるかもですけど。
俺の場合、まずみん日の使い方をガラッと変えました。導入や練習方法も変えて、教科書の中に使わない部分が増えて行きました。次に「できる日本語」を使い始めて、みん日に足りなかったところとかでき日の使いにくいところとかを感じて、最終的にやっぱりみん日やめようって判断に辿りつきました。
今の職場では、教科書の決定権がないどころかまだ仮採用が終わらないうちから「今の文型重視の授業じゃ日本語力伸びない」って主張したりもしてましたし。今考えるとめんどくさい新人ですね。周りは敵だらけだったと思います。結局教務主任になって教科書変えましたが。
ところで、「みん日批判派が偉そうに見える」という意見。実は、ちょっと「そんなのしょうがないじゃん」って思っちゃう部分があります。あぁ敵が増える。
だって、今の進んだ研究を無視して30年前の常識のとおりに傷口にドライヤーをあててるようなものですよ。患者は痛がるし、治りも遅くなるし、その分ガーゼ替えたりちょくちょく消毒したりとか医者の仕事も増えるし。そんなのねえ、ほら、見ててなんかいろいろ残念な気持ちになるじゃないですか。
みん日だって、新しい理論に合わせてコミュニカティブに使えるってのはわかりますよ?
でも構成が作られた当時の理論を無理に新しいのに合わせると、どうしても破綻する部分が出る。それなら最初から新しい理論で作った教科書にすればいいよねって話で、結局最初に戻ります。
「みん日もまるごともただの選択肢の一つであって、それ以上でも以下でもない。どの教科書がいいかは人によって考えが違うんだから、なんでもいいはずだ。」という意見も見られますね。その通りです。でもそれは、「"学習者の目的と合っていて高い学習効果が挙げられるなら"なんでもいい」ですよね。この条件に合うなら、なんでもいいんです。そしてこの条件に最も合う教科書を探して比較検討するのは教師としての義務で、ああやっぱり最初に戻りますね。
てことで、やっぱり日本語教師として学習者のことを考えると、たぶん俺はこれからも学習者の目的と教科書を形作った理論とが噛み合ってないのを見たら、偉そうに口出ししちゃうんだろうなと思います。
ちなみに、みん日の対抗馬として主に出されるのはやっぱりまるごとあたりだと思いますが、まるごとにだって欠点はあります。なんかまるごとの欠点が全然出されてないのは不公平な気もするので、まるごと使ってみて大変だなってところも暇があったらそのうち書いてみたいと思います。まるごとだって完璧な教科書ではないですからね。何年かしたら廃れてる可能性だって0じゃありません。
前回の補足
※この記事の補足です。
自分で書いたの読み直してみましたが、たしかにこれだと「某基金では外交官などにしか日本語教育を行っていない」と言ってるように見えますね。反省。
前回の記事で触れていたのは
https://jfstandard.jp/casereport/ja/render.do
こちらの『8. 『まるごと 日本のことばと文化』を使った実践』のあたりです。
この実践報告では「交換留学生として来日する学生」「外交官・公務員日本語研修」を対象にしたコースや、「ちょっとした楽しみや趣味の一つとして日本語を勉強したいと思っている人」のためのコースなどが出されています。なので、外交官相手の授業というのは国際交流基金の活動のほんの一例です。このページにはありませんが、小学生や年金生活をしているような人を対象に教えることもあるとのことです。
ということで、ちょっと言葉が足りませんでしたが「外交官相手の授業しかやってない機関の報告はあてにならない」と言いたいわけではありません。ただ、外交官はもちろん「交換留学生に選ばれる学生」や「趣味として日本語自体を楽しもうと思っている学生」では、国内にある日本語学校の学生の比較対象にはなりにくいのもの事実。なので、同じ条件、つまり国内日本語学校で「まるごと」を使用した実践報告がないとその良さもなかなか信じられないってことです。だからこそ俺の学校での結果を共有してみようと思ったわけですが。
まあ、そもそも国際交流基金のミッションが『「文化」と「言語」と「対話」を通じて日本と世界をつなぐ場をつくり、人々の間に共感や信頼、好意をはぐくむ』とされているので、出稼ぎに来るような学生とでは比べられないのはしかたないことなんですけどね。
基金では日本や日本文化に興味を持った人に日本語教育を提供する、つまり内発的な動機づけからスタートする場合も多いのに対して、日本語学校では日本語はあくまでツール。日本語自体に興味があるわけではないし、他の国に行った方が簡単にたくさん稼げるとなればそっちに流れる人も多数。就職に必要だからという完全に外発的な動機な場合も多いわけです。そうなると出発点がそもそも違う。このへんがまるごとに手を出しにくい理由の1つなのかなとも思えます。
てことで、「まるごとを国内日本語学校で使用した実践報告がなかなか見当たらないから、うちで導入しても本当に効果があるか分からない」と悩んでいる人に向けて俺の使用状況をちょっとシェアしたというわけです。以上、補足でした。
JLPTには文型積み上げが効果的?
※長いです。
[概要]
・文型積み上げやめてタスクベースに変えた
・でも文法力変わらなかった
・JLPTそこそこ合格した(ただし対策教材は使う)
暇な人は↓を全部どうぞ。
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こんにちは、友です。
先月Twitterで某教科書がコミュニカティブかどうか、という話が盛り上がってましたね。
この記事も少し読まれたみたいです。
http://jpns.hateblo.jp/entry/2019/07/24/180450
そんな中、
「そうは言っても、なんだかんだ文型積み上げできっちり文法を覚えないとJLPTには合格できないでしょ」
「タスクベースで教えれば会話は上達するかもしれないけど、資格試験には向いてないよね。」
みたいな考えの人もいるらしいと気づきました。
で、気になるのは、文型積み上げを使っている人は「試験には文型積み上げ」って言うし、某基金に言わせればそんなことないって反論が出てくるし、でもお互い口だけで主張してもしょうがないし…実際のところ行動中心アプローチとかタスクベースばっかりで教えてるところでの合格率ってどうなんだろうって話ですよ。
そんなこと言うと、「いやいやうちは文型積み上げから変更して、きっちり効果上げてるよ!」なんて声が聞こえてきそうですが、俺みたいなひねくれものが正直に言ってしまうと、某基金のようにいろんな意味で余裕のある巨大な組織が、公務員だとか外交官になるような優秀な学生なんかを相手に教えたところで「そんなの誰が何を使ってどう教えようが、そこそこできるようになんだろ」という気持ちがどうしてもぬぐい切れないわけですよ。暴言マジですみません。
日本語学校勤務の俺としては、「高校も大学もぎりっぎりの成績でなんとか卒業して、ぎりっぎりの予算で留学して、専門か大学出たらさっさと働きたい」みたいな学生を相手に、「420時間や検定だけで修士もなければ専攻でも副専でもない、何なら新卒で社会人経験もない」という同僚たちと一緒に、進路指導やら学校行事やらに追われながら教えていても同様に効果が上がるのかが気になるわけですよ。たぶん同じように思ってる日本語学校の先生って結構いるんじゃないですかね。
あ、誤解される前に言っておくと、俺は文型積み上げは数年前に捨てました。文型積み上げを否定するわけじゃなく、俺が教えてる学生たちには向かないという話です。今は、初級は「つなぐにほんご」、初中級からは「まるごと」の2本で教えてます。
つまり、俺としてはこの教科書をしっかり信頼して効果が上がってるとは思ってるわけです。だいぶ前から言い続けてきたけど、文型積み上げを捨てたからと言って文法を捨てたわけじゃないんです。教科書が変わっても文法はしっかりやってます。授業への組み込み方が変わっただけです。
さて、話を戻して、個人的にはこの教科書に効果を感じてるけど、日本語学校勤務の立場としては
「自分で出した教科書をよく言うのは当然だ、信頼できない、み〇日万歳。」
「まるごとを使って効果が高いのは基金で教えている人たちだけだ。日本語学校では使えない。」
みたいな人の気持ちもすごくよく分かるんです。
てことで、2年ほど前から中級レベルは完全にまるごとでいってる俺の学生たちのJLPT合格率がどうなったかってのを見てみると、行動中心アプローチを推奨する人たちの話の真偽がわかるんじゃないかなってわけです。
結果から言うと、み〇日やめてJLPTの結果が悪くなったなんてことは全くありません。劇的によくなったなんてこともないけど、文法力は全然変わりありません。これはJLPT本試験、校内N5〜3レベルの模擬試験全ての結果から言えます。み〇日であんなに文型練習帳やら標準問題やらいっぱいやってたのに、意味なかったのかよとちょっとがっかり。
コミュニケーション能力に関しては、きちんと調査したわけじゃないけど、事務の職員の方々に言わせれば「最近の学生はよく話す」らしいです。
つまり、「文法力は変わらず。会話力は上がった。」という感じです。
※あくまで主観です。
さて、それでは肝心のJLPTの結果についてです。うちみたいな日本語学校では、非漢字圏の学生はN3を持っているのと持っていないのとではだいぶ進学に与える影響が変わります。N2があればかなり優遇されます。
じゃあ、去年のJLPTの結果はというと、うちはネパールとウズベキスタンの学生がほとんどなんですが、N3の合格率62%。去年は7月の試験が中止になったので、12月の一発勝負です。人数は70名ほどで、半分は10月期の学生だから来日して1年ちょっと。N2に合格した人も2,3人。ベトナム出身の学生が1人だけいて、その人はなんとN3で170点超えてた。すげえ。N2受けさせればよかった。
ちなみに中国の学生は3人しかいないけど全員N2には合格してたね。
去年は7月の試験が中止になったから代わりに模擬試験を受けさせてたんだけど、模擬試験でのN3以上合格率はというと75%。まあ、あくまで模擬試験だし、当然本番より合格はしやすいんだけど、カンニングし放題の本試験と違ってこれでもかっていうほど不正行為を取り締まってたからある意味信頼度は本試験より上かも笑
この数字を見て、他の日本語学校の先生方はどう思うのか。「60%程度じゃ全然足りない、やっぱり文型大事」ってなってしまうのか。
ツイッターでちょっとアンケートを取ってみたところ、↓のような結果に。
https://twitter.com/tomo_jpnstchr/status/1371597791688945665?s=21
普通~多いと感じる人がなんと80%。
ちょっと少ないと感じる人もいるようです。優秀な学生が集まる学校さんですね。
正直「少なすぎ」という意見は半信半疑です。すみません。なら最初から選択肢作るなって話ですけど。
6割で少な『すぎる』ってことは、きっと8~10割を目指すということなんでしょうが、そもそも認定率3割の試験で何十人も受けて100%合格は相当厳しいと思うんですよね。受験者数10人以下とかならともかく。
さてさて、そんなわけで、うちは「つなぐにほんご」と「まるごと」に変えたわけですが、全然JLPTで悪い結果なんかは出なかったわけです。むしろ結構いい感じの結果のようです。
「文型積み上げてないのになんで!?」と思う方もいるかもですが、理由はさっきも言った通り、文法の勉強をやめたわけじゃないからです。積み上げてはいないけど、文法はしっかり勉強する、かつタスクもがんがんこなすから、JLPTのP、「proficiency」はどんどん上がっていくわけですよ。
ところで、「文型積み上げならコミュニケーション力は劣るかもしれないけど文法はしっかりできる」みたいな意見もときどき見ますが、そーゆーわけでもないんじゃないですかね。
今俺が所属してる学校も、教科書とか授業のやり方を変える前は形はわかるけど意味・使い方がよくわかってないみたいな人がたくさんいました。文型積み上げとかオーディオリンガル的な指導法をする人って「形が全て」って感じが抜けてないのかなって印象を受けるときがあります。
A「先生、それ、私が持ちませんか。」
B「先生、それ、私が持ちてましょうか。」
※いずれも「持ちましょうか」の間違い
Aは『形はあってるけど使い方が違う』、Bは『使い方はあってるけど形が違う』ですよね。
間違いのレベルとしては同じようなもんなんだけど、なぜかAの方が『形が正しいから大丈夫』みたいに軽く扱われていたような気がします。
実際にはAもBも文法力としては大差ないわけで、それならタスクをこなすためにどんどん日本語を使う授業をしていった方が最終的に日本語上手になるのは容易に想像できますね。
そんなわけで、
「タスクベースが効果的って言われてるけど、優秀な人が優秀な人に恵まれた環境で教えたデータだけでもの語ってんじゃないのか」っていう疑いでしたが、そんなこともなくうちのような日本語学校でもしっかり効果は出てくれました。
最後に1つ注意ですが、ここまで書いた内容だと「うちはタスクベースの教科書だけでJLPTそこそこ合格した」みたいに見えますが、うちでJLPTの対策を一切していないわけではありません。対策用の教材として模擬試験やら問題集やら少しは使います。ただ、それは教科書を変える前から使ってました。うちで対策教材を使う主な理由の1つは、「試験の形式に慣れる」です。同じ日本語力の人でも、同じ形式の試験の経験が多ければ多いほど点は取りやすくなるので、そのためにも対策教材は使います。逆に言えば、どんな優れた教科書で勉強してても慣れない試験では点が取れないってことなので、みん日だろうがまるごとだろうが対策教材は必須です。使い方はタスクベースとか文型積み上げとかそんなレベルの話ではなく、普通に言語知識を増やして問題解いて慣れるだけです。
ちょっと話はそれるけど、最近某大手日本語学校の養成講座受講者がうちの学校の授業を見学しに来たんですが、「初級レベルでこんなに普通のスピードで話すなんてびっくりした!」って言われたんですよ。俺としては、「え、そこ?」ってくらい意外な話だったんです。講座では初級レベルではゆっくり話すように指導されてたんですかね。
そういえば、1年くらい前にうちの学校の事務担当の人がそこの講座を受けてたんですが、初級実習でめっちゃ細かく書かれた教案の未習語彙・文法をダメ出しされまくってました。
え、これ何年前の講座?と結構衝撃。これでもかというほどの大手日本語学校なのに。
なんていうか、やっぱりこういうところから変えていかないとダメなのかなと思わせる出来事でした。
ちなみに、前にTwitterでも言ったことあるけど、文型積み上げの教科書の効果的な使い方っていうのももちろんあると思います。
それは「辞書として使う」です。
例えば中国の大学で中国人の先生が中国人の学生だけに教えるような場で、コミュニカティブな活動をしている途中でわからない文法が出た時なんかに「じゃあ○○課の例文2を見て。今のはこれです。」みたいに文法の解説に使って、そんで文法の形と意味が確認できたらまた活動に戻る、みたいな、そんな使い方なら効果的かと思います。
タスクベースの教科書も文法は学べるけど、「さっき日本人が使ってたあの文法なんだろう、あれについてもっと知りたい」みたいな時にはやっぱり不向きなんです。そんな時にみん日+母語の文法解説とかあると便利。これはやっぱり文法を0から整理してある教科書の強みです。
日本語学校で文型積み上げを使うのが批判されてるのは、この「辞書」をコミュニケーション力養成に使おうとするからですよね。国語辞典を教科書にして会話練習なんかできるかって話です。
さてさて、ここらで話をまとめると、結局
タスクベースでも試験に合格するだけの日本語力はつけられる
っていうのが俺の結論です。
他の学校さんはどうなのから知らないけどね。
文型積み上げの教科書をやめた学校だけでの調査結果とかあったら、誰か教えてください。
※この記事の補足
スプレッドシートからgoogleフォームを作りたい!
Twitterにも書きましたが、googleフォームって便利だけど作るのはそれなりにめんどくさいんですよね。
エクセルで作った問題をそのままフォームにできたらいいのに…って思ってる人、いませんかね。
てことで、できる限りフォームはいじらずスプレッドシートで問題を作れるようにGASを使ってみました。
https://twitter.com/tomo_jpnstchr/status/1254345676575477761?s=21
プログラムの知識が一切なくてもできます。だって俺もプログラムなんか作れないもの。
さて、それじゃさっそくやり方。
①まず、共有してあるスプレッドシート↓を自分のgoogle driveにコピーして、それを開いてください。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1xJ2efw5DnhC7XBFxb3G0Cu2wM6q-1MSFSgS1LdyGQ8o/edit
②「フォームのタイトルを入力」ここにタイトルを入力します。
③「フォームの説明を入力」ここにフォームの説明を書きます。例えば「漢字の読み方を書いてください」とか「正しいことばを選んでください」みたいな、大問の問題文です。
④「問題文を入力」ここに一つ一つの問題を書きます。例では漢字の読み方を問う問題なので、漢字を入力しています。
⑤「選択肢1(正答)」ここに正しい選択肢を書きます。
⑥「選択肢2~4(誤答)」ここに間違った選択肢を書きます。
⑦「点数を半角数字で入力」ここに配点を書きます。
以上が基本的な入力事項です。
あとは問題を増やしたいだけ9~11行目をコピーして、13行以降に挿入してください。
コピーする際には、正答が1~4のいずれかに偏らないように、バランスよくコピーしてください。
※16行目は非表示にしてありますが、プログラムの一部が書かれていますので絶対に消さないでください。
問題数を増やす場合は必ず13~15行目のところに挿入してください。
では、次は②~⑦で入力したデータでフォームを作ります。
⑧赤いセルの部分をすべてコピーします。
⑨「ツール」から「スクリプトエディタ」を選びます。すると何やら英語で書かれた難しそうなものが出てきます。最初は「function myFunction() {}}」と書かれていると思います。全て消してまっさらにしてください。
⑩先ほどコピーしたものを貼り付けてください。赤いセルがちゃんと全部コピーできていれば、②~⑦の全てがペーストできるはずです。この時スプレッドシートでは非表示にしていたプログラムも一緒にペーストされています。急に英語でごちゃごちゃ書かれていてもびっくりして消さないでください。1文字でも消えるとプログラムが動きません。
⑪左上をクリックして、ファイルのタイトルを入力して、右向きの▼をクリックしてプログラムを実行しましょう。
⑫最初だけ認証が必要になります。「あんたのアカウントでなんかプログラム使おうとしてるけど大丈夫?」みたいな質問されます。俺のことを信用してくれるなら許可してください。これでもう新しいフォームができています。
⑬スプレッドシートを終了して、フォームを開きましょう。先ほどスプレッドシートで入力した通りのフォームができているはずです。問題、選択肢、配点等間違いなければ、最後にフォームの設定をします。
「全般」もプログラムでいじれるんですが、とりあえず全部チェックは外した状態で作ってあります。
「プレゼンテーション」では質問の順序をシャッフルするところにチェックを入れています。
「テスト」のところですが、表示できる項目のところはいじりかたがわかりません…が、どうせみんな毎回好きなように設定を変えたいだろうということで気にしないことにします。お好みで表示する項目にチェックを入れてください。
以上で終了です。
実際に学生に見せる問題を見てみると、質問がシャッフルされているのがわかります。
さて、これで共有したスプレッドシートの使い方は終わりです。
自分でプログラムを入力するところは一切ありません。問題と選択肢を入れたら後はコピペです。
一つ難点をあげると、正答と誤答についてです。
選択肢の1~4のいずれかに正答を入れてると、そのうちミスをしそうです。
少なくとも俺は間違いなくミスります。ケアレスミスのかたまりのような人間です。
なので、俺はいつも「質問の順序をシャッフル」しないバージョンで作っています。
正答はすべて選択肢1。そしてフォームを作ってから、一つ一つの問題の設定で「選択肢の順序をシャッフルする」にチェックを入れています。これはプログラムでいじれないので、全部手作業です。
しかし正答が全て選択肢1の方が、問題作成時にミスが少ないし、結局は問題数が多いときはその方が楽です。
また、いつも俺が学校で使っているものは、必ずフォームの最初に「名前」と「自分のクラス」を書かせる/選ばせる質問も入れています。「質問の順序をシャッフル」をオンにしてしまうと、この「名前」と「クラス」の質問が他の問題と混ざってしまうのも理由の一つです。
今回共有したものは、できる限りフォームをいじらずに済むもの、という趣旨で作ってあります。
また、今回は選択肢から答えを選ぶ問題で作りましたが、答えを入力するタイプの問題も作ることができます。
漢字の読み方など、選ぶより書かせたいときはこちらです。
ただし答えを入力するタイプは解答をプログラムで入力しておくことができないので、フォームを作ってから手作業で解答を入れていかなければなりません。まぁゼロからフォームで作るよりはずっと楽ですが。
ちなみに、今回は問題数が少ないので、フォームも1ページだけですが、問題数が100とかになるとページをいくつかに分けた方が見やすいし答えるもの答えのチェックも楽です。
プログラムでページを分けることも可能なのですが、そのくらいならフォームでやっても大した手間にならないのでそこは今回省いてます。
とりあえずこんな感じです。なんか質問とかあればTwitterの方にコメントぶらさげるかDMください。
ただし最初に書いた通り、俺もプログラムが作れるわけじゃありません。
なので知らないことの方が多いです。正直ここに書かれている以外のことはほとんど知りません。
「〇〇みたいなプログラムも作って!」とか言われても100%無理です。
〈追記〉
スプレッドシートにちょっと注意点追加して、違うバージョンのシートも入れました。
◇正答全部1ver…名前通りです。「質問の順序をシャッフル」はオフにしてありす。
このバージョンは名前通り選択肢1が正答になるので、手動で全問「選択肢の順序をシャッフル」にチェックを入れてください。
◇記述ver…選択肢ではなく、自分で答えを入力するタイプの問題です。これはプログラムでは答えを入れておくことができないので、全問手動で答えを入力してください。ちなみにこちらも「質問の順序をシャッフル」はオフにしてます。