日本語教師奮闘記

日本語教師です。普段はツイッターでしょーもないことばっかり呟いてます。

古いことは良いことか

おはこんにちばんは。友です。

挨拶1回で済ませるなら、順番的に「おはこんばんちは」より「おはこんにちばんは」だと思うんですけど、ネタが古すぎて若い人には通じませんね。

 

 

さて、それでは、突然ですが質問です。

もし、あなたが病院に行くとしたら、もしくは、あなたの大切な人を病院に連れて行くとしたら、あなたはAとBのどちらの病院を選びますか?

 

病院A

「最新の医学の研究なんて、滅多に見ない難病のことばかりでうちの患者には関係ないね。だから、うちは長いこと学会にも所属してないよ。医療器具も全て20年前から使ってる。まだ壊れてないから十分現役だし、最新機器は何千万もするからね。それでも患者さんはうちの治療で満足だって言ってくれるよ。突然入ってきた若いのが「最新理論は」とか「新しい機器にも予算を」なんて言うこともあるけど、うちのやり方を無視したひどい考えだよ。うちの治療方法が間違ってるとでも言いたいのかね。何十年も実践してきた現場のことをもっと信用してほしいよ。最新の研究がなんと言おうが、数十年来のやり方を変える気はないよ。」

 

病院B

「うちは今まで長いこと医者やってるけど、常に最新の情報を取り入れるようにしてるよ。すると、今までうちでやってきた治療法が悉く覆されてびっくりするね。「これが一番」と信じてやってきたものが、実は逆効果だったなんて研究もあるくらいだからね。そりゃあ自分が自信を持ってやってきたものが否定されたらプライドも傷つくし、今まで診てきた患者さんには罪悪感でいっぱいになるけど、そこは患者さんのため。プライドや古いやり方を捨ててでもより良い方法を探していくのが医者の務めだと思ってるよ。機械だって安いものではないけど、今ではびっくりするぐらい治療が早く快適にできるものが開発されてるからね。なんとか費用を捻出するのに必死さ。」

 

これ、自分で書いててなんですが、Aを選ぶ人っているんですかね。

 

それでは、この上記AとBの病院、それぞれ「医者、医学、治療、患者」などの言葉を「日本語教師日本語教育、指導、学習者」みたいな言葉に置き換えて読んでみてください。

 

あら不思議、日本語教育の現場でよく見る台詞…。

 

医療と日本語教育は違う、と思う人もいるかもしれませんが、結構似てる部分がある気がします。

民間療法を信じて医者を信用しない人とかもいますし。「子供のときからこうやって治してきたんだから!」みたいな…。

 

まぁ、医療は日本語教育ほど理論が蔑ろにされてないような気もしますが。日本語教育は国家資格ではないのと、資格がなくても実践の場に入れちゃうからですかね。

 

ちなみに、古いやり方を否定するわけではありません。本当に効果的だということがはっきり証明されてるならそれは守るべきだと思います。

問題は効果があるかわからないとか、実は効果がないのに「昔からやってるから」というだけで続けているものです。

 

さて、医療の例は極端かもしれませんが、日本語教育の現場では最新の理論や研究が軽視されがちな傾向にあるのは事実だと思います。軽視されるというか、そもそも学ぼうとしない人が多いというか。

 

そしてICTに対する拒絶反応の強さ。確かに金はかかるけど、あるとないとじゃ全然違うんですけどね。

たまに「ICTがない現場もあるんだから、そんなものなくても教えられなきゃダメだ」とか言う人いるけど、それは「指導方法に幅を持ってなきゃいけない」というだけで「ICTを導入してはいけない」ということにはつながりません。

 

なんでこうなっちゃったんでしょう。

 

原因の1つはやっぱり国が日本語教育に力を入れていなかったことだと思うんですけどね。教材準備や指導方法の勉強から場所の確保まで全部自分でやっていたボランティアがどれだけいたことか。

外国人をどんどん受け入れていく流れの今でもボランティア日本語教師の割合が6割ってどうなってんのって感じですね。「教える」という仕事で教師の半数以上がボランティアだなんて異常な世界は日本語教育くらいのものでしょう。

 

「資格なくても日本語教室で教えていいよ」

「外国人増えたらよろしく」

「勉強したかったら東京あたりに自費で来てね」

「とりあえず何でもいいから全部自分でやって」

 

これじゃ勉強無理だわな…。いろいろな意味で。

 

でも、やっぱり勉強は大事。自分も日本語教育に関わるものとして地域全体の教育の質は上げたい。

 

 

ということで、最近ボランティア教室の先生とうちの学校の先生で勉強会とかを開けないか考え中です。ICTはまだまだ超える壁が多くて厳しいので、もう少しゆっくり…。

 

国内か海外か、大学かボランティアか、日本語学校か専門学校か…教える場所や人に関わらず、日本語教育というものをもっと強くしていきたいですね。

 

長くなってきたのでこのへんで。