日本語教師奮闘記

日本語教師です。普段はツイッターでしょーもないことばっかり呟いてます。

「日本語教師」は専門職?

こんにちは。友です。

 

とりあえず宣伝だけどpodcast始めましたよ!

https://podcasts.apple.com/us/podcast/lets-talk-in-japanese/id1470844095?uo=4

 

全然ブログの内容とは関係ないんですけどね。すみません。

 

 

さて、タイトルにあるとおり、「日本語教師」という仕事についてです。

 

最近日本語教育に関する法案が通ったこともあり、以前より日本語教師とか日本語教育という言葉をいろいろなところで目にするようになりました。それは大変喜ばしいんですが、同時に気になる意見も増えました。

 

それは「日本人なら誰でも日本語教えられる」というやつ。

 

やっぱりそう思う人はどこにでもいるんですね。

そこで、「誰でも教えられる」という人に聞きたい。

 

『あなたは英語を話してもいいですか。』

『私はまだ今の職場が習慣になっていません。』

 

あなたはこの日本語が直せますか?

 

上記の文って文法的には誤りがないんですよね。

じゃ、この2つを直したらどうなるのかっていうと、もちろん文脈的に意味が変わる場合もあるけど

 

『あなたは英語が話せますか。』

『私はまだ今の職場に慣れていません。』

 

となる可能性が高いです。

まず1つ目は、英語のcanの使い方のミスで、「Can I use it?」みたいに「can」の「〜してもいい?」という意味の使い方からのもの。

2つ目は中国語の「習慣」の使い方からくるもので、中国語では「慣れる」は「習慣」と言います。日本語では別々の言葉が、中国語では同じ単語で済んでしまいます。

 

これは母語や他に勉強した外国語からの影響によるミスですが、他にも一見文法的に正しく見えても文化や習慣の違いから使い方を直すべきこともあります。

 

例えば、何か頼みごとをする際に日本語では「ありがとう」と言わずに「お願いします」と言います。「ありがとう」と言うのは、頼みごとを引き受けてもらって初めて言います。ですが、他の言語では依頼文の最後を「ありがとう」で締めくくる場合も多いです。引き受けてもらえるかどうかは関係なく。場合によっては「まだ引き受けてないのに『ありがとう』なんて、勝手なやつだ」と思われてしまいかねません。

 

 

実は、最近lang-8というサイトを使っています。

勉強中の言語で日記などを書くと、その言語の母語話者が添削してくれる、というサイトで、今は新規登録を受け付けていないらしいですが俺はまだこのサイトが始まったばかりの時に登録してたので今でも使えるんです。

 

英語と中国語を忘れないようにときどき使うんですが、なかなか便利なサイトです。しかし、このサイトを使っていて、やはり上記のような例を直すのはなかなか難しいんだなと改めて実感したわけです。

 

最初に出した例もlang-8で見かけたものなんですが、実はこれらの間違いは全然修正されておらず、「完璧な文です」なんて言われてしまうことも多々あります。

 

つまり、本職の日本語教師言語学、音声学、メジャーどころの外国語、他文化などなど多分野にわたる知識をもとに学習者が「どうして間違えたか」を導き出す一方で、普通の日本人は「普段自分が話している日本語と違う」という視点でしか指導できないことが多いわけです。

 

このサイト、添削するのはいくら母語話者とはいえ、なんの資格もない素人がほとんど。添削の質は本当にバラバラ。同じ母語話者のはずなのに人によってある文法が正いと言ったり正しくないと言ったり、質問するために文法用語を使えば「それ何?」と言われるし、文法書に載ってる小難しい文を応用して書いたら「それは間違っている」と言われることもあります。

 

もちろん素晴らしい添削をして、わかりやすい解説をしてくれる人も多いです。自分でちゃんと考えて消化できる人には大変役に立つサイトです。

ただし、「自分でちゃんと考えて消化できる人」限定です。調べずに適当に書いて、直されたものを調べ直したりしないでいたら、どうも大した効果は上がらないように思えます。

まぁ、当然といえば当然です。同じ文に対して正しいと言う人と間違っていると言う人が混在しているわけですから。

 

誤解のないように付け加えると、俺自身はこのサイトが気に入っています。だからこそ退会せずに何年もユーザーでいるんです。素晴らしいサイトなので、これからも是非是非続けて欲しいと思っています。

 

ただ、日本語教育に関して言えば、法律も決まってこれから日本語を必要とする人が多くなる今、ボランティアという無料サービスだけに頼っていてはいけないし、教える側はきちんと教えるための訓練を積むべきだ、と思います。言語というのは話せれば誰でも教えられるものではないのです。

 

 

ちょっと古い話ですが、素晴らしい成績を残した有名野球選手がいざ引退して教える側に回ったら、何を言ってるのか全然わからなかった、なんてことがありました。

 

わかる人にはわかる、という感じです。

考えずになんとなくの感覚で動ける人というのもいますし、そういう人同士なら「感覚」だけで通じ合えるのかもしれません。しかし、人の感覚というのはなかなか一般化できないものです。

 

言語も普通母語話者は「感覚」で使っています。スポーツでも指導に資格が必要なんです。言語だって資格がなきゃ指導できないのは当然じゃないでしょうかね。